第6回:麻雀とは?
最近ノーレートの雀荘が出始め、麻雀とは思考・至高のゲームであり金を賭けるという行為は麻雀本来の

至高のゲームとしての楽しみを伝えづらくしている。等という抜けた事を言い出すやからが多い。



何を抜けた事を言ってやがる!!!!



麻雀とは至高のゲーム、そしてギャンブルである!!


そう俺は思う。

俺は自他共に認める麻雀好きであるが、金がかかっていなかったら絶対ここまではまっていない。


時給800円、毎日せこせこと働き溜まる金なんて大したものではない。

点100円なら ロン満願! これで一時間の間だるい客の相手をし、寒空の下必死に配達をし貯めた金が一瞬にして

吹き飛ぶ。


一つ一つ切る牌に乗っているものは、苦労してきた時間そのものである。

当然切り一つ一つに対する重さが変わってくる。 打つほうは必死だ。

考えてみて欲しい。月の収入が6万円や5万円の学生にとってその一打一打がどれほど重いものかを。

俺は最高千点800円まで経験があるが 学生の俺にとってそういう時の一打はまさしく震える。




だから、必死にあがりに行く。 

だから、上がった時の喜びは凄まじい。 

だから、必死にトップを取りに行く。 

だから、トップを取った時の喜びは何事にも変えがたい。

勝ちというものの重さがノーレートの時とは比べ物にならない。





ノーレートの麻雀は そういう付加価値を一切取り去った 牌効率のみのゲームに堕してしまうのである。

ベストの受けを残し、つもって、切る、あがる。

ただの単純作業、機械的である。



リーチの重みも違う。

ノーレートなら 振っても8000点という数字が 自分からマイナスされるだけである。

プレッシャーなんてほとんどない。

金がかかるとそうはいかない。自分の命の金を削っているからだ。 当然切れる牌も切れなくなる。

打ち手も必死で考える、真剣になる。 そこには心理と心理とのぶつかりあいがある。

ただの牌効率に沿った点数の取り合いではなく、人間の心理という要素がプラスされるのである。

ここで麻雀は平板な点数を競うゲームから立体化する。

かかっているものが大きいから人はその牌に一喜一憂する。 


それが麻雀の面白さであり、醍醐味ではないだろうか。

ノーレートの麻雀なんて
気の抜けたビール。 俺はそう思う。